相撲界の「血統主義」はもう笑うしかない
夢道鵬の昇進で見えた、露骨すぎる血のロジック
夢道鵬が新十両に昇進?祝福ムードがXにもメディアにも満ち溢れてるけど、正直、呆れるしかないんだよね。だってさ、完全に「誰の子どもか」「誰の孫か」って話でしか盛り上がってないわけよ。大鵬の孫で、貴闘力の四男で、王鵬の弟。もはや個人の実力なんてどこ吹く風。こんなにも露骨に「血統」を持ち上げてるスポーツって、いまどき相撲くらいじゃない?野球やサッカーじゃそんなのとっくに過去の話。だけど相撲界だけは、未だに昭和の遺産にしがみついてる。
実際、夢道鵬は成績的にそこまで圧倒的じゃなかった。勝ち越しとはいえ、他にもっと実力で上がってもおかしくない力士はいた。でも、最終的に選ばれたのは「血筋」。これが何よりも優先される。いや、本当に冗談じゃない。才能を開花させた新人とか、地道に努力して這い上がってきた無名の力士より、「あの孫です、あの息子です」ってだけでスポットライトが当たる世界。そんなの、完全にスポーツの本質から外れてる。
才能よりもストーリー重視の相撲界の欺瞞
ストーリーテリングっていうのは、エンタメ業界ではよく使われる手法だけど、相撲はもうそれに頼りすぎ。新弟子がどうやって苦労を乗り越えて関取になったか、そんなリアルで泥臭い話より、「伝説の大横綱の孫が関取に!」っていうタイトルだけで売り出す。中身スカスカでも、血のラベルが貼ってあればメディアもファンも食いつく。
で、結局その構造に甘えて、夢道鵬本人も本質的に戦ってないように見える。これからは実力で示せって声もあるけど、最初から「家柄で特別待遇」って認識がある限り、評価されるラインも甘くなるに決まってる。期待というより、勝手にストーリーを背負わされて、それを都合よく消費されるだけ。そんな構造の中で本気で勝負したい若者が育つわけがない。
「ファミリー商売」の限界
閉ざされた社会がもたらす不健全なエコシステム
相撲界って、外部の人間が入りにくい異様な閉鎖空間なんだよ。部屋制度もそうだし、しきたりや伝統を盾にして、既得権益をガチガチに守ってる。結果として、内部の人間、つまり「家系」によって支配される構図ができあがってる。夢道鵬の昇進も、その構図のなかで自然に起きただけのこと。いや、むしろ当然の帰結とも言える。
この構造を壊すどころか、むしろ加速させてるのがメディア。夢道鵬の昇進がニュースになったとたんに「大鵬の孫」「王鵬の弟」というフレーズがトップにくる時点で、もう勝負してるのは実力じゃない。血筋で記事のバリューが決まるって、いつの時代の話だよって感じ。しかもそれにファンも踊らされて、批判するどころか一緒に持ち上げてる始末。
競技の本質を無視した「神輿ビジネス」
相撲ってさ、もともとは神事だとか言われて、神聖なものとして扱われてきたわけよ。でも今は、完全に神輿ビジネス。話題性があって、親しみやすくて、メディア映えする力士を前面に出して、それで注目を集めてチケット売って、グッズ売って…っていう構造が出来上がってる。要するに「売れる顔」が必要なんだよ。だから、夢道鵬みたいな「レジェンドの孫」が都合がいい。
つまり、彼の存在そのものがブランド化してるわけ。力士としてのポテンシャルより、アイコンとしての価値が重要視される。これ、競技として終わってる証拠だよ。いま本当に相撲を愛して、努力してる若者がいたとして、夢道鵬と同じ土俵で戦えると思う?まずスタートラインが違いすぎるんだよ。そもそも本人の実力がどうこう言う前に、背景だけで判断される世界なんて、スポーツとして機能してない。
応援が麻薬になってる相撲ファン
「血の継承」に感動してる場合じゃない
SNSを見てても、夢道鵬の昇進を「嬉しい」「涙出た」とか言ってる人が多すぎる。もう本当に病気。ファンが熱狂してるのは彼の取り組みじゃなくて、「血のドラマ」なんだよ。相撲を見てるんじゃなくて、二世三世ストーリーに酔ってるだけ。もはやスポーツ観戦じゃなくて、感動ポルノになってる。
そりゃね、家族や血の繋がりがある者同士が同じ舞台で活躍するって、絵としてはエモいよ。でも、それが実力や努力より優先されるってなったら、単なる茶番。もっと冷静に見てほしいんだよね。これは本来、競技の場なんだから。血がどうこうじゃなくて、勝ったか負けたか、どんな技を出したか、それで語るべきなんだよ。
自分の人生を重ねるな、冷静に見ろ
結局、ファンって夢道鵬に自分の夢を投影してるんだよ。「親の七光りでも頑張れば報われる」とか、「血を受け継いでいれば道は開ける」みたいな幻想を重ねてる。そういう自己投影が気持ちいいんだろうけど、現実はそんな甘くないし、相撲界はそんな甘い構造にしてるから、どんどん衰退していってるんだよ。
若者が見ても、「実力より血が大事なら、自分には無理だ」って思っちゃう。そうやって競技人口が減って、結局は閉じた村社会に戻っていく。誰も指摘しないけど、このままじゃ相撲はスポーツとしての寿命が尽きるよ。いや、もう末期かもな。
真の実力主義を排除する伝統という呪縛
なぜ「伝統」はいつも免罪符になるのか
「相撲は伝統だから」という言葉が、どれだけの改革の芽を潰してきたか。もう呆れるくらい聞き飽きたフレーズ。伝統って便利なんだよね。どんなに時代遅れな制度でも、それを維持する言い訳になる。特に相撲界では、この伝統という名の呪縛がすべてを覆っている。階級社会、部屋制度、年功序列、そして血統主義。これら全部、「昔からやってきたから」で正当化される。
でもさ、それって何の進化もしてないってことでしょ?他のスポーツはデータ解析や科学的トレーニングを取り入れて、進化してる。でも相撲はどう?いまだに稽古は根性、昇進も感覚、評価も不透明。もはやスポーツというより、宗教の領域に近い。夢道鵬の昇進も、「伝統ある家系だから上げてやろう」という空気が支配していた。結局は情緒に支配された世界なんだよ。
「相撲村」からはイノベーションは生まれない
閉じた空間で内輪の論理だけが通用する。それが相撲界の実態。外部からの批判や指摘は基本的に受け入れない。だから、どんなに合理的な意見を言っても「外野がうるさい」と切り捨てられる。こうなると、もう発展なんてしないよね。逆に、村の中で通用する論理に従った人間しか出世しないから、本質的に優秀な人材が淘汰されていく。これがいちばんヤバい。
スポーツの本質は、オープンな競争の中で能力が評価されること。でも相撲は違う。評価は密室で決まる。どの親方が誰を推してるか、どこの部屋にどんな力士がいるか、そういった裏の力学で番付も昇進も決まってしまう。夢道鵬の昇進がそういう構造に乗っかっていることが、余計に冷める。
ファンが変わらなければ、相撲は終わる
盲目的な応援がスポーツを腐らせる
ファンってさ、ある意味でそのスポーツの未来を左右する存在なんだよ。だからこそ、相撲ファンが変わらなきゃいけない。今みたいに「大鵬の孫だから応援する!」「兄弟揃って関取、感動した!」って言ってるようじゃ、ずっと「ドラマ」しか見てないわけ。肝心の「勝負」を見てない。
もっと言えば、ちゃんと「なんでこの力士が昇進したのか?」という目で見てほしいし、理不尽な選出があれば批判すべきなんだよ。盲目的に持ち上げて、ちょっとした美談で感情を消費してるだけのファンが多すぎる。これって、もう消費者としてもレベル低すぎ。熱狂と感動しか求めないファンに囲まれたスポーツって、結局は劣化していくしかない。
冷静に評価する視点が欠如している
ファンの中には「今はまだ若いから」「これから実力を証明してくれる」なんて都合のいいことを言うやつもいるけど、それって希望的観測でしかない。昇進の理由が「成績が良かったから」じゃなくて、「話題性があったから」なら、もうその時点で評価の前提が崩れてる。
スポーツの世界でいちばんダメなのは、実力と評価が一致しないこと。これが続くと、まともな選手が育たない。誰も本気で競技に打ち込まなくなる。だって、どれだけ努力しても、結果を出しても、最終的に評価されるのは「名前」や「血統」なんだから。これはもう、才能と努力を否定する仕組みそのものだよ。
最後に問う、「これは本当にスポーツか?」
エンタメとスポーツの境界線
夢道鵬の昇進を見て感じたのは、相撲ってもう「スポーツ」じゃなくて「演出されたエンタメ」なんじゃないかってこと。プロレスに近いよね。ガチでやってるふりをして、裏でキャスティングが決まってる。でもプロレスはそれを割り切ってエンタメとして見せてるからいいわけ。相撲は違う。あくまで「伝統と実力の世界」っていう建前を貫こうとしてる。
そこに最大の欺瞞があるんだよ。夢道鵬を昇進させるなら、正々堂々「話題性があるからです」って言えばいい。でも、表向きは「実力で勝ち取った」って装うから腹が立つ。だったら、ちゃんとデータやロジックで納得させろよって話。今の相撲界は、表と裏のギャップが激しすぎる。その矛盾を放置したまま、表面だけきれいごとで固めるから、ますます信頼を失っていく。
自浄作用がないなら、終わらせるしかない
正直、今のままなら、相撲という競技はもう終わらせたほうがいい。誰も言わないけど、これが現実。改革する気もない、内部に批判する人もいない、ファンも盲目的に称賛するだけ。そんな環境で成長があるわけがない。むしろ時間のムダ。新しいスポーツがどんどん台頭してきてる中で、相撲はもはや「時代錯誤の遺物」に成り下がってる。
本気でスポーツとしての価値を取り戻したいなら、まずは「実力主義」を徹底すべき。血統なんてどうでもいい。誰の孫だろうが、誰の息子だろうが、土俵の上では全員イコール。それがない限り、未来なんてない。夢道鵬の昇進は、相撲界の構造的な問題を可視化した象徴的な出来事だった。これに何も感じないなら、もうこの国のスポーツ文化も末期だよ。
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