プロ意識が消えた現場:ノーアウト満塁で無得点の恥
結果を出せない打者たちの共通点
ノーアウト満塁って、野球やってる人間にとっては最大のチャンスだよ。だけど、それを無得点で終えるってのは、もはや事故じゃなくて事件だよね。いや、事件ってより、単なる無能の集団が露呈しただけか。結局、こういう場面で何もできない打者って、頭が動いてないんだよ。思考停止して、バットを持って立ってるだけ。アウト一つ取られるごとにどんどんプレッシャーが増していくのはわかるけど、プレッシャーを言い訳にするな。プロってのは、そういう場面で結果を出すからプロなんだろ。
打てない奴が悪い。極端な話、犠牲フライ一本でもいいわけだよ。なのに三者三振? もうその場でユニフォーム脱げって言いたくなるよね。観客は金払って、時間使って、わざわざスタジアムまで行って、何を見せられてんだって話。これ、バッターの怠慢以外の何物でもないよ。
データの使い方が下手すぎる
そもそも野球ってスポーツは、統計と戦略で動かすものなんだよ。MLBなんて完全にデータ主導で選手を使い分けてる。日本はどう? いまだに「気合い」だの「根性」だの、昭和の残り香がプンプンする精神論ばっか。ノーアウト満塁で点が入らないのって、単なる偶然じゃなくて、戦略ミスの積み重ねなんだよ。
ベンチは何してんの? スモールベースボールって言葉があるけど、もう今の巨人見てると「ノーアイデアベースボール」だよね。データも使わず、選手の状態も見ず、打順も感覚頼り。得点圏での打率とか、フライの打球率とか、ちゃんと分析してるのか? 少なくとも、あの無様な三者三振を見た限り、何も考えていないのが丸わかりだよ。
無責任体質が生んだ“敗北の文化”
誰も責任を取らない構造
日本の野球って、誰も責任を取らない文化が蔓延してる。監督も、選手も、フロントも。結果が出なかったら、「仕方ない」「次がんばろう」ってなあなあで済ませる。いや、次頑張ればいいって言うけど、ファンは今頑張ってくれって思ってんだよ。しかもそれが一度じゃなくて何度も繰り返される。だったら変えるべきなんだよ、やり方を。
ノーアウト満塁で無得点って、普通の企業で言ったら大チャンスのプレゼンで全部滑って何の契約も取れませんでしたって話。そんなの、クビになるでしょ。なのに、プロ野球だと、次の日も普通に出場して、同じことを繰り返す。そこに競争も緊張感もない。
「勝つ意志」が足りないチーム構造
見てて一番感じるのは、勝ちたいという意志の欠如だよね。ノーアウト満塁って、1点でも2点でも取れば、試合の流れが変わる可能性がある。でも、今のチームにはその意識がない。ベンチも無策、打者も準備不足、走者も工夫なし。
しかも、そういう状況を批判されるとすぐ「叩くな」とか「応援しよう」とか言い出す風潮。いや、叩かれて当然でしょ。やるべきことをやってないんだから。スポーツってのは、見ている人を感動させたり、熱狂させたりするエンタメなんだよ。感動も熱狂もないなら、ただの労働ショーでしかない。
三者三振を取った投手だけがプロだった
デュプランティエの圧巻の投球
この試合で唯一プロだったのが、三者三振を取ったデュプランティエだよ。あいつだけが勝負の意味を理解してた。ノーアウト満塁の場面で、普通の投手ならビビる。ところが彼は違った。ギアを一段階上げて、一人ひとりを完璧に仕留めた。これこそプロの仕事。しかも、それが継続してできている。メンタルの強さも、準備の質も、全てが違う。
ああいう投球を見ると、余計に打者の体たらくが際立つ。結局、どんなに点を取れるチャンスがあっても、打者に技術とメンタルがなければ意味がない。そこがプロとしての分水嶺なんだよ。
実力の差を突きつけられた現実
結局、何が言いたいかというと、野球って甘くないってこと。ノーアウト満塁でも、凡打を並べれば点は入らない。むしろ、そういうときにこそ差が出る。だからこそ、あの場面で抑えた投手の評価は天井知らずになるし、打てなかった打者の評価は地に落ちる。
けどさ、日本の野球界はその現実を見ようとしない。「今日は運が悪かった」とか「次に期待」って、現実逃避してんじゃないよ。プロなんだから、現実見て、結果出せよって話。結局、そういう甘さがチームのクオリティを下げてるし、ファンを失望させてる。現実から逃げてるうちは、何も変わらないよ。
野球という「見世物」の本質を忘れた者たち
ファンの期待と失望を読み違えている
野球はスポーツだけど、それ以上にエンターテインメントだ。そこに金と時間を使う人たちがいて、ようやく成立する産業だよ。でも今の選手たち、ベンチ、球団フロントはその感覚が圧倒的にズレてる。ノーアウト満塁で三者三振って、プロレスで言えばフィニッシュ技前に観客放置して控室に帰るようなもんだよ。誰がそんな茶番を観たいと思う?
ファンは「逆転のドラマ」を求めてる。そこには緊張と爆発があって、希望と絶望が交錯する瞬間がある。だけど、あの打席に立ったバッターたちには何もなかった。期待を裏切るって、たまにならドラマになる。でも、それが“常態化”すると単なる絶望なんだよ。そんな現場に金を出す奴なんていなくなる。
「チーム力」なんて妄想は捨てろ
よく「チームとしての結束が…」とか「流れが悪かった」とか言い訳する奴がいるけど、何それ? 勝負どころで個々の能力が出ないなら、それはチーム云々以前の話だよ。野球は個の集まり。チームなんて後付けの概念で、まずは一人ひとりがやるべきことをやれ。
ノーアウト満塁の場面で点が入らないのは、個々が打席で勝負できていない証拠。打てないなら、せめてボールを見極めて四球を狙え。状況を読んでバントで崩す手もある。何もせずに振って、振って、三振。それでチームの絆? 笑わせるな。戦術も戦略もないのに「一体感」なんて笑止千万だよ。
指導者とフロントの責任は重い
指導が昭和からアップデートされてない
打てないのは選手のせい。でも、それを放置してるのは指導者の責任だ。いまだに「フルスイングしろ」とか「気持ちで負けるな」とか言ってるやつ、野球教える資格ないよ。AIもセンサーデータも活用できる時代に、感覚で語るとか終わってる。そんなコーチに教わったところで、ノーアウト満塁での得点率なんて上がるわけがない。
プレッシャーがかかる場面こそ、データで裏付けされた「確率で勝負するマインド」が必要なんだよ。それを「お前ら、魂込めて振れ」って? それで何十年結果が出てないか考えろって。アップデートされてない指導体制、それが無得点の一因だよ。
フロントは責任回避のプロ集団
そして最悪なのはフロント。観客動員と視聴率しか見てない。「今年の打線は勢いがある」とかふわっとした言葉で済ませて、チーム強化は二の次。ノーアウト満塁で無得点? 「たまたまですね」で終わりだよ。そんなやつらがトップにいて、どうやって強いチームができるんだって話。
そもそも選手を評価する基準が曖昧すぎる。打率よりも得点圏での結果、出塁率、プレッシャー下での対応力、こういう指標を精緻に評価して報酬やポジションに反映させるべき。それをしていないから、結果が出ない打者が打順固定されたままダラダラと使われる。これは怠慢以外の何物でもない。
もう「応援」という言葉は呪いでしかない
失敗に甘い社会の縮図がここにある
ノーアウト満塁で得点できなくても、「応援してます」「次は頑張って」って、ぬるい言葉がネットにあふれる。いや、それがファンの優しさだとか言うなよ。そんな優しさが選手を腐らせるんだよ。失敗しても誰も怒らない。怒るどころか、慰められる。そんな環境で危機感持てるわけないだろ。
プロってのは、結果が全て。それを応援という名の免罪符でごまかすな。結果が出ないなら叩かれて当然。それが嫌なら、アマチュアで草野球やってろって話。結果が出せないプロなんて、存在価値ゼロだよ。
勝てるチームは“殺しに来る”メンタリティ
勝てるチームは違う。1点取りにくる。バントもする、スクイズも使う、盗塁もある。要は「勝つためのすべて」をやる。そういう殺気が伝わるから、観客は熱狂する。今の巨人にそれがあるか? ないよね。ただ打って出ようとして、三振して終わり。そこに一手の工夫も、したたかさもない。だからつまらないんだよ。
デュプランティエが三者三振取ったっていうけど、それは彼が優れてるからというより、相手がアホだったって話でもある。対策ゼロ、意識ゼロ。そういう打者に抑えられても「さすが」じゃなくて「当然」だろ。
変われない者は、去るしかない
変革を拒む者に未来はない
何度でも言う。ノーアウト満塁で無得点というのは、組織としての終わりの兆候。選手が変わらない、指導者が変わらない、フロントが変わらない、ファンすら甘い。だったら、もう変われないってことだよ。変われないなら、勝てないし、未来はない。
生ぬるい野球を見せられて、それでも応援するっていうなら、観客もまた責任の一端を担ってる。見る目を持て。要求しろ。そうでなければ、この茶番は永遠に続く。
プロとは、常に問い直す者
プロって何だ? 技術がある、経験がある、年俸が高い。違う。プロとは、自分を常に問い直す者だよ。チャンスで打てなかったら、次に備えて徹底的に準備する。監督もコーチも、次の戦略を練る。ファンは喝を入れる。そういう全体のダイナミズムがあって、チームは強くなる。
でも今、それがどこにもない。ただ流れ作業でゲームが終わって、同じ失敗を繰り返してるだけ。プロを名乗る資格があるのか? もう一度問い直せ。それができないなら、ユニフォームを脱げ。
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