三笘薫の快挙を疑え、日本人の勘違い

「日本人初」ってだけで騒ぐな、世界の視点を持て三笘の快挙?それってホントに“快挙”なの?

まず最初に言っておくけど、三笘の二桁ゴールがすごいって言ってる人たち、ちょっと落ち着けよって話。確かにプレミアリーグで二桁得点って日本人としては初のことかもしれない。でもさ、それがなんなの?って思うわけ。プレミアで活躍してる選手って、年間30点以上取って当たり前って選手もゴロゴロいる。その中で「10点」取ったからって、もはや「快挙」って呼ぶのは、基準が低すぎるでしょ。

やっぱり本質的な話をすると、日本のスポーツメディアって、世界で戦うっていう視点が抜けてるんだよね。「日本人初」「アジア初」とか、そんな枠組みでしか物事を評価できない時点で、もう世界のスタンダードから外れてる。要は、内輪で盛り上がってるだけ。それって、ガラパゴスなんだよ。

「お誕生日ゴール」で泣いてるやつ、情緒でスポーツ語るなしかもさ、今回の三笘のゴールが「誕生日だった」とか「強敵リバプール相手に決めた」とか、やたらドラマチックに語ってる連中が多いけど、そもそも誕生日だろうが何だろうが、プロは毎試合全力出すのが当たり前でしょ。特別な日だからってテンション上がってゴールしましたって、そんなのアマチュアの発想。

サッカーって感動ポルノじゃないんだよ。冷静に分析して、数字を出して、次の戦略にどう活かすか。そこを語れよ。感情論で「すごい」「泣ける」とか言ってる時点で、そもそもスポーツを見る視点がズレてる。まるで、応援が宗教みたいになってるじゃん。

結局、スターに仕立てたいだけのメディアの自己満足なぜか「国民的ヒーロー」に仕立てようとする構図毎回思うんだけど、日本のメディアってやたら「ヒーロー」を作りたがるんだよね。特にワールドカップの年とか、オリンピック前後になるとその傾向が強い。でもね、スポーツってそんなに一発勝負じゃないから。日常の積み重ねであって、継続的に結果を出してこそ初めて評価されるべきなんだよ。

今回の三笘の活躍も、結局は「一発の派手なゴール」がメディア映えしたから祭り上げられてるだけ。冷静に見たら、今シーズンの彼の出場時間も減ってるし、クラブ側はすでに放出の準備に入ってるって話もある。そこをスルーして「快挙」とか言ってるのは、本質を見てない証拠。

世界基準で言えば、まだ「話題枠」三笘が所属してるブライトンって、プレミアの中では中堅クラブだよね。しかも、毎年のように主力が抜けていって再編を繰り返すようなクラブ。その中で10点取ったから「プレミアで通用した」と評価するのは、かなり楽観的。

世界基準で見れば、レアル・マドリードやマンチェスター・シティみたいなビッグクラブで継続的にレギュラーとして出場して、チャンピオンズリーグで結果を出して初めて「世界レベル」と言える。今の三笘は、まだ“話題枠”でしかない。要するに、注目されてるけど、それが実力なのか偶然なのか、まだ誰も判断できない段階。

「日本代表の希望」って、それこそ希望的観測でしかない国民が勝手に背負わせてる“物語”三笘に「日本サッカーの希望」みたいなラベル貼ってるやつ、マジで害悪。そんなもん本人からしたら迷惑でしかないよ。勝手に期待して、勝手に失望して、そんで叩き出す。それ、何回繰り返してるのって話。

希望って言うなら、そもそも育成や国内リーグの構造改革にもっと注目しろって。海外に行った選手をチヤホヤするだけで満足してるから、日本サッカーはいつまで経っても“外人頼み”の体質から脱却できない。10年後も同じこと言ってるよ。「○○が日本人初の記録達成!」って。

過大評価が選手の寿命を縮める過剰な期待って、選手のキャリアにとってもマイナスなんだよ。三笘だって、こういう騒がれ方をされることで、逆に次の移籍先のプレッシャーが倍増してる。クラブ側も「日本市場狙い」でマーケティング要員として見てくるかもしれないし、本人の実力と関係ないところで判断されるようになる。

そうやって潰れていった選手、いくらでもいるからね。結局、メディアとファンが過剰に期待をかけて、それに応えられなかった瞬間に「終わった人」扱いする。まるでアイドルの使い捨てと同じ構造だよ。サッカー選手に対しても、そういう軽薄な扱いをしてるって自覚があるのか?

実力主義で見なきゃ、永遠に世界と差が縮まらない感動ではなく「成果」で語れ日本人って、どうしても「感動ストーリー」が好きすぎるんだよ。努力しました、苦労しました、怪我から復活しました、って全部ドラマチックに演出するけど、結局それって“感情への訴求”であって、成果に基づく評価じゃない。三笘のゴールも「逆足でボレー!」とかっていう“演出の文脈”ばっかで、本質的なパフォーマンスの中身はどれだけ語られてる?

ビジネスでも同じ。泣きながらプレゼンして「想いは伝わった」って言っても、結果が出なきゃ意味ないでしょ。サッカーもまったく一緒。実際に勝って、得点して、チームに貢献したっていう“実利”が重要なのに、それを感情で塗りつぶすのは思考停止以外の何ものでもない。

本質的に、スポーツを語るなら数字と戦術から離れちゃダメ。それを感動でごまかしてるうちは、プレミアで二桁なんて騒いでるのが関の山。世界のトップと戦ってる連中は、そんなもん毎年当たり前にやってる。

「日本人だからすごい」っていう発想の限界そもそも「日本人初」って何?って話。自分の国籍フィルターを外して、純粋に選手の実力とプレーの質を見たほうが建設的なのに、「日本人にしてはすごい」「日本人初」って言うことで、“世界から見て普通”のパフォーマンスを「特別」に変換してる。

その構造自体がもう“コンプレックスの裏返し”でしかないんだよ。つまり、無意識に「自分たちは劣っている」と思ってるから、ちょっと結果出しただけで「すげー!」「奇跡!」って騒ぎ出す。でもね、それじゃあ永久に世界の本物には勝てない。

本物っていうのは、毎年当たり前に結果を出すやつのこと。10点で快挙なんて言ってる間は、20点30点取る選手たちの土俵には乗れないってこと。日本人かどうかなんてどうでもよくて、結果を出すかどうか、それだけ。

盲目的な賛美がスポーツの未来を壊すTwitterの“応援ごっこ”が気持ち悪い最近のSNS見ててもさ、なんかもう「三笘さんありがとう!」「涙が出ました」とか、そういうテンプレみたいな感想で溢れてるのが気持ち悪い。ファンが喜ぶのはわかる。でも、それってただの“応援ごっこ”になってない?

本来、スポーツって批判も評価も自由な場のはずなのに、「すごい!」以外のことを言うとすぐに「アンチ」とか「叩くな」とか言われる風潮があって、完全に空気で固められた“同調圧力ゲーム”なんだよ。だから、冷静な分析が育たないし、議論にならない。結果として、育成も強化も進まない。

サッカーは感動ポエムじゃない。プロの世界なんだから、数字で語れ、戦術で語れ、実力で語れ。そうじゃなきゃ、何年経ってもW杯ベスト16が限界のままだよ。

誰かが“神格化”されるたびに日本代表は弱くなる三笘に限らず、日本では少しでも海外で通用しそうな選手が出ると、すぐに「救世主」扱いするけど、それがチームスポーツにとってどれだけ害になるか、誰も考えてないよね。

一人の選手に過度な期待を寄せると、戦術も歪むし、チーム全体のバランスも崩れる。それに何より、本人のプレッシャーが爆発的に増える。三笘に「日本の希望」なんていうラベルを貼った時点で、他の選手は彼を頼るし、彼は孤立していく。

結果、代表はいつも同じ構図になる。誰かが“過大評価”された挙句に失速して、「あいつは期待外れだった」とか言って切り捨てる。で、また新しい“救世主”を探して盛り上がる。これの繰り返し。まるで学習しない。

真の成長は「冷静な失望」から始まる「あれ?意外と普通じゃね?」って思えるかどうか三笘のゴールに対して「すげー!」ってなるのは最初の1回だけでいい。2回目、3回目は「当たり前」に感じなきゃダメ。感動が続くってことは、つまりこっちの基準がずっと低いままってことだから。

冷静に言うと、今の三笘は“ちょっと抜けてる”日本人レベルの選手であって、世界で見たら普通。でも、その「普通」に対して「特別」と感じてしまううちは、成長なんてない。大事なのは、「あれ、三笘って別に世界基準では中堅だな」と思えるようになること。それが本当の意味で、世界の水準で物事を見るってこと。

成功者の足元を見ろ、じゃなきゃ同じ場所をグルグル回るだけ成功者を「すごい!」と持ち上げるだけじゃ何も変わらない。その人がどんな工夫をして、どういう経路をたどって、どういう失敗をしてここまで来たのか、そこを観察しなきゃダメでしょ。

でも日本では「結果が出た」=「神」になるから、プロセスの検証がほとんどされない。結果だけ見て感動して終わり。だから、同じ失敗を繰り返す。選手もファンもメディアも、全部が同じ穴のムジナ。

だから俺は言いたい。三笘の二桁ゴールを本当に意味ある快挙にしたいなら、もっとシビアに見ろって。そこから何を学べるか、何が足りないのか、それを語れるようになって初めて、「世界と戦える日本」って言えるんじゃないの?

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