競馬界の闇:金子真人勝ち慣れてるに潜む欺瞞

競馬というエンタメの裏にある不都合な真実

勝ち慣れた者の発言に沸き立つ競馬村の滑稽さ

金子真人がオークスで34個目のG1タイトルを獲得したって?「勝ち慣れてる僕としても珍しく興奮した」だと?いや、確かに実績は凄いよ。でもさ、それを賞賛して持ち上げて、まるで宗教みたいに神格化してる競馬ファンやメディアの連中、ほんと頭大丈夫かって思うわ。勝ち慣れてるって言葉、普通の感覚なら出てこない。これ、要するにG1を金で買える仕組みを理解してますってことだから。馬の目利き、調教師、騎手、血統、すべてに金をつぎ込んで、当たったら神。ハズれたら話題にもされない。それを「勝ち慣れてる」って言うの、俺から見たらただの感覚麻痺。勝つことが当然になってるなら、そもそも競争じゃないでしょ。

それに「競馬ゲームを現実でやってる」なんて言ってるやつ、何それ。ゲーム感覚で生き物扱って、それをドヤ顔で語るのがレジェンドの条件かよ。冷静に考えてみ?自分の人生をゲームに例えられて、それをSNSで面白がって拡散される気分。馬だって感情あるし、命なんだよ。G1で勝った馬の裏に、無数の引退馬、行き先のない馬がいること、知ってて無視してるんだろうけどさ。

経済動物の現実に目を背けて喝采するな

もうひとつ言いたいのは、こういう「勝ち慣れた人」のニュースを見て、「さすが!」「天才馬主!」と騒いでる奴ら。結局、見たい部分しか見てない。34勝の陰で、何百頭という馬が屠殺場に送られていることには一切触れない。もちろん、全ての馬主が殺処分に加担してるわけじゃないけど、G1で勝った馬の影には、無名のまま姿を消した馬が山ほどいるのが現実。いらなくなった馬の末路なんて、ファンの誰も追跡しない。綺麗な勝利だけを切り取って、「夢がある」だの「浪漫」だの言ってんの、マジで綺麗事すぎる。

俺は動物愛護団体でもなんでもないけど、本質的に「使えなくなったら捨てる」っていうビジネスモデルがスポーツに組み込まれてるのが気持ち悪いと思ってる。それを否定せずに、「経済動物ですから」って言ってしまうあたり、やっぱりこの業界って感覚狂ってるわ。馬が経済動物だから、何をしてもいいのか?勝てば美談、負ければ廃棄、そんな世界に疑問持たない方がどうかしてる。

レジェンド神話の裏にある欺瞞

カネとシステムが支配するレースに感動はあるのか?

競馬は公平なスポーツだとでも思ってるの?馬の能力?いやいや、金だよ、すべては。金子真人みたいなトップ馬主がいい馬を買って、いい厩舎に預けて、海外騎手呼んで、最高の条件でレースに出す。当たり前に勝つでしょ。そりゃそうだよ。競馬っていうのはね、基本的に「どれだけ金を突っ込めるかゲーム」だから。金子レベルになれば勝つのが当たり前。それで「驚きました」とか言われても、どこが驚きなんだよ。パフォーマンスかよ。

しかも、最近では外国人騎手がG1勝つと「すごい!」ってなるけど、そういう騎手呼べるのも金の力。つまり、資本力がモノを言うレースで、下剋上なんかないんだよ。勝てるのは、いつだって同じ顔ぶれ。そこに感動なんかあるか?それってただの繰り返しでしょ?感情のループを演出するエンタメでしかない。そうやって「見せかけの競争」で儲けてるのが競馬村の構造なんだよね。

競馬を支えるファンの“思考停止”が一番の問題

俺が一番危惧してるのは、こういう構造を「まあ、しょうがない」「そういうもんでしょ」って思ってるファンの存在。まさに思考停止状態。勝ち慣れた金子のコメントがニュースになって、「さすが!」「レジェンド!」って祭り上げるのは勝手だけど、その思考は完全に家畜化されてる。批判するどころか、養分になって喜んでるって、もはや宗教だよ。

一頭の馬がG1勝ったというだけで、馬主がトレンド入りする。いや、そもそもなんで“馬”じゃなくて“馬主”が主役になってんだよ。それが競馬っていう産業の本質なんだろうけどさ、せめて主役を取り違えないでほしい。走ってんのは馬なんだから。馬主が金出してる?そりゃそうだけど、だからってその全功績を馬主のものにするのは完全にズレてる。例えるなら、映画をヒットさせたのが監督じゃなくて出資者だって言い張るようなもん。金出したやつが偉い、そんなのばっかりになると、ほんとに文化としての深みはなくなるよ。

メディアとファンが作り出す「幻想の王国」

メディアはなぜ批判しないのか?

結局、こういう金子真人的な存在を「レジェンド」として扱うのは、メディア側の都合でもあるわけよ。新聞、ネットニュース、テレビ、どこも一緒。アクセス稼げる、数字取れる、だから称賛しかしない。馬の福祉問題、引退後の行方なんかどうでもいい。記者も馬主の顔色伺って、核心を突いた質問なんて一切しない。それで報道機関ですって顔されても、失笑しか出ない。

特に競馬メディアなんて、そのほとんどが広告収入頼みでしょ?JRAとか馬主クラブ、牧場からのカネで回ってる。つまり、スポンサー様に逆らえない構造なわけよ。そりゃ「勝ち慣れてる」なんて上から目線の発言が出ても、「さすが!」ってヨイショするしかない。批判的な視点で記事書くメディアは皆無。JRAだって、その辺は敏感に見てるから、変な空気作るメディアには仕事が降ってこない。結果、どこも同じような記事、同じようなコメント、そして同じような賛美。もう全部テンプレ。AIでも書けるレベル。

ファンが盲信してる限り、何も変わらない

でも結局、一番の原因はファン側の受け取り方なんだよ。何も考えずに、SNSで「金子さんすごい!」「泣けた!」とか書いて、勝手に感動して終わる。それが積み重なって、ああいう発言が許される空気になる。はっきり言って、思考停止したファンが競馬をダメにしてる。馬の命を消費してるエンタメに対して、「夢」とか「感動」とかいう言葉で美化しすぎ。

実際、少しでも「じゃあ引退後の馬はどうなるの?」って問いかけようものなら、「水を差すな」「空気読め」って袋叩き。やってることがカルト宗教と同じ。都合の悪い事実は見ない、触れない、話さない。それでいて「競馬には浪漫がある」なんて笑わせんなよ。浪漫は、自分でその現実に向き合って初めて成立するもんだろ。そこから目を逸らしてるくせに、感動語るなって話だよ。

真の「勝者」とは誰なのか?

勝ち組の姿勢が業界の未来を左右する

だからこそ、本当に競馬をよくしたいと思ってるなら、勝ち慣れた人間こそ言動に責任を持つべきなんだよ。金子真人が34勝して「勝ち慣れてる」って言える立場なのはわかる。でもだったら、せめてその立場から、使い捨てにされる馬たちの行き先にも光を当ててみたらどうだ。G1で勝った馬の引退後は、そりゃ種牡馬や繁殖に回るかもしれない。でも、そこにすら届かなかった馬たちはどうなる?知ってて黙ってるなら、それは罪だよ。

金があって、影響力があって、実績もある。そんな人間が「勝ち慣れてる」って言うなら、業界全体を変えるくらいのメッセージを発信する責任があると思うわけよ。ただの自己陶酔で「俺すげー」ってだけなら、クソつまんない。本当のレジェンドっていうのは、結果だけじゃなくて、その後の振る舞いで業界を引っ張っていける人間のことだろ。そうじゃないなら、ただの金持ちの遊びだよ。

これからの競馬に必要なのは“透明性”と“倫理”

俺が言いたいのは、競馬を否定してるわけじゃないってこと。エンタメとしての競馬は成立してるし、ビジネスとしても成功してる。それは事実。でも、だからこそ、それだけ大きな業界になった今、もっと透明性と倫理が必要だってこと。勝った馬ばかりを取り上げて、華々しい部分だけを見せるやり方は、もう限界にきてる。

これからの競馬が本当に長期的に支持されるコンテンツになりたいなら、競走馬の引退後のフォローをシステムとして組み込むべきだし、それをオープンにする必要がある。殺処分の現実に対しても、どう取り組んでいるか、JRAも馬主も正面から説明すべき。それができないなら、今のような祭りはただの欺瞞にすぎない。

勝ち続ける者が、使い捨てられる者の声を代弁しない世界。それって本当に“勝者のいるゲーム”なのか?俺には、ただの支配と消費のゲームにしか見えないけどな。

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