シンメデージー2着を美談にする奴は競馬語る資格なし

シンメデージー2着で「感動」してる時点で競馬を語る資格なし

勝ち負けの本質を理解していない“お客様”の群れ

おいおい、ちょっと待ってくれよ。名古屋グランプリでシンメデージーが2着に入ったことに、なんでこんなにも“称賛”の声があがってるの?「よくやった」「感動した」「今後に期待」とか、何その学芸会レベルの感想。はっきり言うけど、あれだけの走りを見せて“2着”だった時点で、それは「勝負に負けた」ってことだよ?勝ってないんだから。

競馬はスポーツじゃない。エンタメでもない。投資でもない。“勝負”なんだよ。勝った馬と、それ以外。明確に線引きされるのがこの世界のルールであり、厳しさなんだよ。なのに、そのルールを捻じ曲げて「良いレースでしたね〜」なんてニヤニヤしてるやつらは、根本的に“勝負の世界”を理解してない。単なる“お客様”だよ。

2着を褒める風潮は、日本社会の病理

日本社会の特徴って、「頑張った人を評価する」とか「努力を讃えよう」みたいな同調圧力文化にあるんだけど、それがこの競馬界隈でも顕著に現れてるわけ。勝ってないのに「善戦した」とか言って褒めちぎって、結果がすべての世界から逃げてるんだよ。

でも、本質的に言うとそれって逃げだよね?勝たなかった、つまり負けたという現実から目をそらして、自分たちの“感情”で物事を処理してるだけ。そういうのを“慰め”って言うんだよ。競馬ファンって、こういうぬるいマインドセットのやつらが多すぎる。

「シンメデージーはようやっとる」って?じゃあ何?来年も“ようやっとる”で2着続けて、何回も惜敗して、結果一回も勝てないままキャリア終わったら、それが満足なの?勝てない名馬に意味なんかねぇよ。競馬は勝った馬がすべて。2着はただの通過点でしかない。

吉原騎手や地元馬を神格化してる奴、アタマ大丈夫?

吉原寛人に幻想抱きすぎだろ

確かに吉原寛人は地方競馬では実績ある騎手だよ。でもさ、今回のレースの2着って“結果”を冷静に見た時に、彼が「すごい」ってなるのはおかしいんだよ。勝ってたら確かに賞賛に値する。でも2着なんだよ?「よくやった」とか言ってるやつって、実際には勝負勘がゼロなんだよ。

そもそも、地方馬で中央の馬に挑むって構図が美談になるのは、あくまで勝った時の話だから。負けて美談にするって、完全に“感情のオナニー”だろ。吉原の乗り方が完璧だったって?本当にそうか?じゃあ、なぜ勝てなかった?そこを突き詰めないと、結局「負けを褒める文化」の再生産になるだけ。

フークピグマリオンも“ようやっとる”だけ

で、地元のフークピグマリオンが4着で「健闘した」とか持ち上げてるけど、それも正直バカみたい。たまたま展開がハマっただけでしょ?斤量も軽かったし、地元の利もあった。そもそも4着って、掲示板に乗った程度の話じゃん。結果的に上位に入れただけで、これを「強かった」とか言ってるのは、お前の感性がズレてる証拠。

ぶっちゃけ、こういう“健闘を称える文化”が日本の競馬をダメにしてる。敗者を持ち上げるってことは、勝者の価値を下げてるってことに気づけよ。勝ったサンライズジパングにフォーカスすべきなのに、なんで負けた馬の話ばっかしてんだよ。これって、学校の運動会で全員にトロフィー配ってるのと同じ。無意味な平等主義の悪しき象徴だよ。

サンライズジパングが勝った意味を誰も理解していない

“勝ち筋”を読み切った坂井瑠星の価値をなめんな

そもそも今回の名古屋グランプリ、真に評価すべきは1着のサンライズジパングと、それを勝たせた坂井瑠星の戦略眼なんだよ。斤量、展開、他馬の脚質を完全に読んだあの動きは完璧だった。にもかかわらず、ツイッターやXでは「シンメデージーすごい」「吉原さんありがとう」とか、感情ばかりに支配された評価が飛び交ってる。

レースは感動ポルノじゃねぇ。“勝ち筋”を読み切った坂井の判断こそ、本質的に語られるべきだろうが。感情で評価してんじゃねぇよ。馬券外した言い訳にシンメデージーの2着を使ってんじゃねぇよ。ああいう勝ち方をする馬と騎手が「結果を出す」んだよ。賞賛すべきはそこだけ。

競馬ファンの感性がズレすぎててヤバい

もうね、Xに流れてるコメント見てると、9割が情緒と感情で競馬語ってて、ヤバすぎるんだよ。「良いレースでした」「次に繋がる内容」って、お前は小学生の読書感想文かよって話。勝てなきゃ意味がないってことを、なぜ理解しようとしない?

もちろん、競馬はストーリーのあるスポーツでもある。でもさ、それはあくまで「勝ちに至るまでの過程」に対して感動するものであって、「惜しくも負けた」ことを賛美する道具じゃないだろ。負けたってことは、その時点で価値が下がる。厳しいけど、これが“競馬”なんだよ。現実を見ろよ。

“応援”と“現実”を混同してはいけない

推し馬だからって現実から目をそらすな

推し馬だから、応援してるから、それで何もかもが許される?そんな感性で競馬を語ってる時点で、ファンじゃなくてただのアイドルオタクだよ。シンメデージーが好き、それはいい。でも、好きな馬が勝てなかった時に「でも頑張った」とか言ってごまかすのは、本質的に自分の負けを認めたくないだけだろ?

それって、現実から逃げてるだけだよ。応援っていうのは、勝たせるためにするんだよ。勝ってこそ意味があるし、勝たなければ応援の本質は果たせていない。なのに「推しが2着でうれしい」とか、意味わからん。それって、推しの足を引っ張ってるのと同じだよ。競馬ってのは、シビアでドライで、冷酷なまでに“結果がすべて”の世界。そのリアリティを無視するなら、競馬なんかやめちまえ。

馬券も買わずに評論家気取りかよ

で、さらにムカつくのが、馬券も買ってないくせに「展開がどうだった」「調教が甘かった」とか、やたらうるさい“エア評論家”ども。お前ら、実際に自分の金を賭けてるのかよって話。賭けてもいない人間が「よくやった」とか言うのは、まるで会社のプロジェクトが失敗しても「頑張ったからヨシ」とか言ってる無能な上司と同じ。

金を賭けて、勝ち負けの現実と向き合って初めて、競馬は本当に面白くなる。そこに感情論でしか語れないやつらが混ざってきて、「2着でも価値がある」なんて妄言を垂れ流すから、競馬の世界全体がぬるくなるんだよ。馬主や騎手、厩舎のスタッフは勝つために命削ってるのに、なんで“負けたことを美談にする”んだ?マジで意味不明。

「負けても価値がある」とか言ってる奴はマジで害悪

失敗を称賛してたら、何も成長しない

「失敗から学べることもある」っていう言い訳、よく聞くけどさ、そもそも“称賛すること”と“反省して学ぶこと”はまったく別物だって気づいてる?今の競馬ファンの多くは、反省じゃなくて、単に“都合のいい自己正当化”をしてるだけ。

だから、同じような負け方を何回も繰り返して、そのたびに「惜しかった」「頑張った」って繰り返してる。そういう連中が競馬界を語ってるって、終わってるよね。勝てなかった理由を分析して、どうすれば勝てるかを突き詰めていく、それが本来あるべき競馬ファンの姿なんじゃないの?応援=信仰になってる時点で、もうそれは“競馬”じゃない。ただの宗教だよ。

SNSでの承認欲求のゴミ山

あと、SNSで「自分の推し馬が頑張ったことを発信する俺カッコいい」みたいな自己満ツイート、まじで寒い。結果は伴ってないのに、いいね稼ぎたいだけで“感動ポエム”垂れ流してるだけ。そもそもさ、シンメデージーの話題がジパングより多いって、おかしいでしょ?勝った馬を話題にしないで、負けた馬ばかり美談にして盛り上がってるって、競馬ファンとしての思考が破綻してる。

本質的に“勝った者こそが称賛されるべき存在”なんだよ。それが競技としてのルールだし、価値観なんだよ。勝ったジパングが空気になって、2着の馬に“物語”を感じてる時点で、もはやそのファンは「負け犬に感情移入してる自分が好き」なだけのナルシストでしかない。

勝てない馬に未来はない

2着を続ける馬は、“強い馬”じゃなくて“勝てない馬”

競馬ってさ、何回も惜敗してる馬に「そろそろ勝てるだろう」と期待を寄せる人が多いけど、それは完全に間違いなんだよ。むしろ、何度も2着に終わってる時点で、その馬は「決定的に勝てない馬」って烙印を押されてるわけ。走力、展開、戦略、すべての条件が揃ってても勝ちきれないって、もうそれ才能ない証拠じゃん。

「勝てないけど強い」ってのは、アマチュアの言い訳なんだよ。プロの世界で“勝てない強者”なんていない。勝って初めて強いんだよ。そうじゃなきゃ、何を基準に“強さ”を測るんだ?2着を繰り返すのは、能力的に足りてないか、勝負勘が欠けてるか、あるいは陣営が無能か、どれかだよ。

次こそ勝つ?根拠のない希望は妄想だ

「今回は2着だったけど、次こそは勝てるはず」って希望的観測で語るやつ、ほんと頭お花畑。根拠があるならまだしも、感情だけで語ってるからタチが悪い。勝てない理由を検証して、次にどう改善するかを冷静に分析してるわけでもない。要するに、シンメデージーが「次もまた2着止まりになる可能性」すら直視できてない。

夢見るのは自由だけど、それを他人に押し付けるなよ。競馬は現実の世界だ。幻想や妄想の中で語るなら、ディズニーランドでも行ってろって話。

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