司法試験合格に感動してる奴、マジで思考停止してる
努力を讃える社会の病理
俳優が司法試験に受かっただけで「すごい!」「感動した!」って、どれだけこの国がぬるいかを象徴してるよね。いや、司法試験が難関なのはわかるよ。でもそれって「できて当たり前」っていう世界での話でしょ。何年も勉強して試験に合格すること自体は別に革新的でもなんでもない。むしろ、普通にやれば誰だって到達できるゴールだよ。
それに、俳優業と両立していたって言うけど、結局SNSもやらず、表舞台から消えて勉強だけしてたんでしょ?だったら専業受験生と一緒じゃん。何も特別なことしてない。むしろ、俳優業で注目を集めた過去を使って合格を美談化してる方が姑息に見える。まさに「努力しましたマーケティング」。やっぱり日本人って本質よりもストーリーが好きなんだよね。
「音信不通で勉強してました」は努力の免罪符か?
これ、完全に逃げの美談化だよね。SNSで活動しなくなった、俳優業も控えてた、それって別に美徳じゃないし、褒める理由にはならない。多くの社会人は、毎日フルタイムで働いて、それでも夜中に資格勉強してんだよ。音信不通になる余裕があるって、それだけ恵まれた環境にいたってことでしょ?
しかも、復活の報告が「司法試験合格しました」っていうのがまた気に食わない。ストイックに勉強してたからすごい、ってなるのは、根底に「芸能人=バカ」っていう偏見があるから。結局、芸能人が少しでもインテリっぽいことやると、それだけで過剰に持ち上げる。中身を見て評価するっていう当たり前のリテラシーが、日本人には欠落してる証拠。
「司法試験=人生の勝者」っていう発想が終わってる
国家資格信仰の根強さ
司法試験を崇拝してるやつ多すぎ。いつの時代だよ。国家資格を持ってる=勝ち組って、昭和の価値観そのまま引きずってる。今どき、弁護士だからって食えるとは限らないし、AIやリーガルテックが進化したら一気に価値が下がる職業の一つだよ。それなのに、いまだに「司法試験合格=超人」って持ち上げるのは、ただの思考停止。
そもそも、司法試験って受験資格がある程度絞られてるし、訓練すれば誰でも受かる。本質的に必要なのは「粘り強さ」と「暗記力」であって、創造力でもなければ、起業家精神でもない。今の時代に必要な資質とはまったくズレてる。それを「すごい!」って持ち上げてる時点で、この国の未来は暗いわ。
努力が報われた話は、実はかなり退屈
「夢をあきらめずに努力したら合格しました」って、そんなのただのテンプレ。そこに何のイノベーションもない。再現性もない。ただ「頑張った人が成功した」という、分かりきった結論にみんな群がってるだけ。やっぱりこの国では、考えることを放棄した人間が、ストーリーに酔って泣くんだよ。
逆に言えば、岡田龍太郎が失敗してたら、誰も取り上げないでしょ?「3年9カ月SNSやってなかったけど、試験落ちました」だったら、むしろバカにされてた可能性すらある。つまり、彼が称賛されてるのは「結果を出した」からじゃなくて、「ストーリーが完成した」から。本質はそこじゃない。
なぜ「地味な努力」が過大評価されるのか
社会が「結果」より「過程」を好む構造
結局、日本社会は「努力」に価値を置きすぎなんだよ。だから、成果よりも「どう頑張ったか」の方が評価される。「努力してるやつをバカにするな」みたいな謎の正義感もそう。でも、それって裏を返せば、「努力してる自分は偉い」っていう甘えでしょ。ビジネスの世界では、そんなの通用しない。
俺なんか、結果がすべてだと思ってるから、プロセスがどうとか一切興味ない。どれだけ汗水たらして頑張っても、結果出せなきゃクソだし、要領よく成果出すやつの方が圧倒的に評価されるべきだと思ってる。なんでこの国では、努力が報われることが「感動的」なんだよ。そもそも、努力は報われる保証なんてないんだから、そんなもんを美談にすんな。
「無名が成功した話」に弱すぎる
岡田龍太郎って、正直そこまで有名じゃないよね?だからこそ、「そんな人が!」っていう驚きがある。これも日本人が「無名の苦労人が成り上がる話」に弱いっていう証拠。中途半端な知名度の奴が、資格を取っただけでインテリ扱いになる。それ、逆に言えば「期待してなかった」ってことでしょ?そんなんで喜ばれてる時点で、相当ナメられてたってことだよ。
結局、岡田龍太郎の司法試験合格がバズったのは、みんなが彼のことを「どうせ無理」と思ってたから。そういう意味で、お前らが「感動した!」って言ってること自体が、彼に対しての先入観と偏見の塊だったってことに気づけよって話。
なぜ「エリート=つまらない」のかを直視せよ
真のインテリは目立たない
本当に優秀な人たちは、司法試験ごときでバズらない。だって、もっとすごいことを日常的にやってるからね。MITやスタンフォードの研究者が「博士号取りました!」ってXでバズるか?しないでしょ。それが当たり前だから。結局、司法試験合格に群がってる時点で、みんなの知的水準が低すぎるってことなんだよ。
エリートってのは、目立たず淡々と結果を出すもの。それを「俳優が司法試験合格」とかでいちいち大騒ぎするのは、日本人の知性の貧困さを象徴してる。何か一つ目立つと「すごい人」って思い込む。ストーリーが先にあって、中身は空っぽ。それが今の日本の「インテリ像」だ。
「文武両道」は本質的には無意味
あと、「俳優しながら司法試験受かった」とか言ってるけど、それ、ただの時間の使い方の問題。実際は俳優やってなかったんだから、実質的には専業受験生と変わらない。むしろ、途中で芸能活動から逃げて、司法試験という明確なゴールのある世界に逃げ込んだだけじゃないの?それを「文武両道」とか言って持ち上げるのは、冷静に見たらズレてる。
そもそも、文武両道とかマルチタレントが好きって、日本人だけの幻想だよ。全部中途半端で、結局どれも突き抜けてない。アメリカだったら「どっちにフルコミットしてるか」が評価軸。中途半端なスペシャリストなんていらないんだよ。
「感動ポルノ」消費者たちの罪
感動で自己満足する大衆の無責任
結局、みんな「自分じゃ何もしてないのに、他人の努力を美談にして泣いて満足してる」ってことが一番ヤバい。感動してる暇があったら、てめぇが何か成し遂げろって話。誰かのサクセスストーリーでカタルシス得て、それで自分も変われた気になってる。完全に妄想。
他人の努力を自分のエネルギーに変換するって、それ一見ポジティブに見えるけど、実際はただの怠慢の言い訳だからね。「俺も頑張ろう」って言いながら、1週間後には元通りのぬるま湯生活。それ、毎年箱根駅伝見て正月太りしてるやつと一緒。だから、司法試験の感動話で盛り上がってるやつ全員に言いたい、「お前がやれよ」と。
称賛することで“良い人”を演じる偽善
さらにムカつくのが、称賛してる奴らが「私は人の努力をリスペクトできる優しい人です」っていう自己演出に酔ってる点。そういう連中って、結局「叩かれるのが怖い」から、無難な感動話に乗っかって「いいね」してるだけ。自分の頭で考えてないから、感動話の裏側にある構造的な問題に気づかない。
要するに、称賛することで自分を安全な立場に置いて、他人の成功に便乗してるだけの卑怯者。こういう感動ポルノに集る大衆の存在が、社会の構造的問題を温存させてる。だから日本ではいつまで経っても、イノベーションが起きないし、意見を言う人間が潰される。リスクを取らず、リツイートするだけの偽善者たちが、文化を腐らせてるんだよ。
本質的な成功とは何か
資格ではなく、社会に何を生んだか
司法試験合格はあくまでスタート地点であって、社会にどんな影響を与えるかが本質だよ。仮に彼が弁護士として、何かの社会的課題を解決するような裁判を起こすとか、新しい法的仕組みを作るとか、そういう成果が出たときに初めて評価されるべき。
だけど、現状はただの「資格取りました発表会」。司法試験合格って、例えるならスタートアップの資金調達が完了しました、っていう段階。ここから何を作るかが重要なのに、みんな「資金調達したからすごい」って言ってる。投資家目線で見たら、まだ何のバリューも生んでないって話。
他人を賞賛するより、自分の行動を見直せ
岡田龍太郎の司法試験合格から、本当に学ぶべきことがあるとすれば、それは「自分も今やるべきことをやってるか?」という問いを自分に投げかけること。SNSにコメント残してる暇があるなら、自分の人生を前進させる行動を取れよって話。
他人の成功で満足してる奴は、絶対に自分の人生で成功できない。成功ってのは、行動の積み重ねでしか手に入らないし、他人のサクセスストーリーを眺めてても、1ミリも近づかない。俺が言いたいのは、称賛も共感もいらない。やる奴は、黙ってやる。やらない奴は、黙ってろ。それだけ。
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