競馬ファンの偽善と矛盾
ジャンダルムの死を悼むなら競馬をやめろ
ジャンダルムが死んで悲しい?冗談だろ。競馬ファンはいつもこういう時だけセンチメンタルになって「安らかに」だの「ありがとう」だの言うけど、結局お前らはレースを楽しんで馬券を買ってるだけじゃん。都合のいい時だけ感動話にするのは本当にクソだと思うね。 そもそも競馬は馬を酷使するシステムだろ?本当に馬が好きなら、レースで無理に走らせること自体が残酷だって気づくはず。でも現実は違う。普段は「競馬はロマン!」とか「名馬の走りに感動!」とか言いながら、いざ馬が死んだら「早すぎる…悲しい…」って、お涙頂戴のムードに浸る。いや、お前らがそのシステムを支えてるんだから、むしろ加害者側だろ? ジャンダルムが死んだのも、骨折したら治療の手間や費用がかかるから「予後不良」で殺処分したんだろ?競馬の世界ではそんなの当たり前で、何百頭も同じ理由で消えていってるのに、一頭が話題になった時だけ騒ぐのはマジで滑稽だわ。
馬の人生なんて最初から決められてる
そもそも競走馬ってのは、生まれた瞬間から「どれだけ速く走れるか」しか求められない。いい血統で生まれた馬は億単位の値段がついて、デビュー前から期待される。でも結果を出せなかったらすぐに引退、種牡馬になれなかったら乗馬クラブ行きか、最悪食肉処理場送り。これが競馬の現実だろ? ジャンダルムは一応G1を勝ったけど、それでも引退後は種牡馬として大成できるかわからなかった。そんな状況で大腿骨骨折なんかしたら、競走馬としても種牡馬としても価値がなくなるから、さっさと処分されるわけよ。人間の都合で生まれて、人間の都合で走らされて、最後は人間の都合で殺される。本当に馬のことを思ってるなら、まずこの現実を直視しろよ。 それなのに競馬ファンは「ジャンダルムは幸せだった」「関係者に愛されていた」って言うんだよな。愛されてる馬があっさり殺されるのかよ?結局、馬の命なんて経済合理性の前にはゴミみたいなもんだってことがよくわかるわ。
競馬は文化とか言う奴ほど偽善的
馬券を買うための「文化」なんていらない
競馬を擁護する奴って、「競馬は伝統的な文化」とか言い出すんだけど、文化だからって何でも許されるわけじゃない。昔は闘犬や闘牛も盛んだったけど、今は動物虐待だって批判されるようになってるだろ?だったら競馬も同じように見直されるべきなのに、なぜか「馬と人が共に歩んできた歴史」とか言い出して正当化しようとする。 でも実際の競馬ってのは、馬を生産して、走らせて、使えなくなったら処分するだけのビジネスじゃん。文化ってのは本来、人間が創造的に築いてきたものを指すんだけど、競馬はただのギャンブル。要するに馬券を売るために続いてるだけの仕組みなんだよな。そんなもんを文化とか誇ってる時点で終わってるわ。 競馬ファンは「馬券を買うことで競馬を支えてる」とか言うけど、それは単に自分が楽しむための言い訳だろ。ジャンダルムが死んで悲しいなら、まず競馬をやめるべきなんだよ。でもやめないんだよな。結局、馬が死んでも「次のレースが楽しみ!」とか言って馬券を買うんだから、本質的には馬のことなんてどうでもいいんだよ。
馬の福祉とか言うなら根本的に見直せ
最近は「競馬界も馬の福祉に力を入れてる」とか言われるけど、それって本当に意味があるのか?たとえば引退馬の支援とかもあるけど、実際に救われる馬はほんの一握り。大半は行き場がなくなって、結局は処分される。日本は特に引退馬の受け皿が少ないから、海外に売られたりもするけど、そんなのは問題の先送りでしかない。 そもそも馬の福祉を本気で考えるなら、競馬のシステム自体を見直さないとダメだろ。馬をスプリント専用とか長距離専用とかに分けて、特定の距離でしか走らせないのも負担が大きいし、2歳とか3歳の若いうちからムチ打って全力疾走させるのも異常だよな。 でもJRAも馬主も調教師も、みんな「レースが盛り上がればいい」くらいにしか思ってないから、そこには手をつけようとしない。レースで故障する馬がいようが、「仕方ない」で終わるのが現実。なのに競馬ファンだけがジャンダルムの死に対して「残念です…」とか言ってるのは、マジで茶番だよ。 競馬を続ける限り、こういう悲劇はこれからも起こる。でも、ファンは一時的に悲しんで、すぐに忘れる。そしてまた次の馬に熱狂する。そんな繰り返しが何十年も続いてるのに、なぜ誰も競馬そのものの在り方を疑問に思わないのか、不思議で仕方ないね。
競馬界のビジネスモデルとファンの欺瞞
結局、競馬は「馬の使い捨て産業」
競馬ってのは、冷酷なまでに合理的なビジネスモデルなんだよな。生産者はより速い馬を作るために繁殖を繰り返し、使えない馬は淘汰される。競走馬の生産頭数は毎年約7000頭、その中でG1を勝てるのはほんの一握り。ほとんどの馬は日の目を見ることなく、地方競馬に流れたり、早々に引退して行き場を失う。そしてその行き着く先の大半は「処分」だ。 競馬界はこれを隠そうともしない。「競争の世界だから仕方ない」「すべての馬を救うのは無理」とか言ってさ。でも、そもそも競馬のシステム自体が「使い捨て前提」なんだから、根本から間違ってるんだよ。ジャンダルムが話題になったのはたまたまG1馬だったからであって、名前も知られずに消えていく馬なんて何千頭といる。その事実を無視して、都合のいい時だけ馬の死を悼むのは偽善以外の何物でもない。
馬主もJRAも、利益が第一
競馬が動かす金の規模を知ってるか?JRAの年間売上は3兆円を超える。馬主は1億円以上する馬を買い、調教師は管理費として毎月数十万円を受け取る。要するに、競馬界は金で動いてるんだよ。 JRAは馬券の売上が全てだから、ファンが感動するストーリーを演出して売上を伸ばす。ジャンダルムがG1を勝った時も「母は名牝ビリーヴ、感動の勝利!」みたいに美談として盛り上げたけど、死んだ途端に「残念ですね…」で終わり。冷静に考えれば、馬が死んでるのに誰も責任を取らないし、仕組み自体も変わらないんだから、完全に茶番劇だろ。 一方、馬主も結局はビジネスだから、馬が活躍すればするほど価値が上がるし、ダメなら早めに見切りをつける。ジャンダルムみたいにG1を勝っても、引退後の扱いが決まるわけじゃない。種牡馬として需要がなければ、結局は行き場がなくなる。競馬ファンは「馬主さんのおかげで馬が走れる」とか言うけど、単なる投資対象として見てるだけだからな。
競馬ファンがすべきこと
本当に馬を大切に思うなら、競馬をやめるべき
競馬ファンはジャンダルムの死を悼んでるけど、じゃあ競馬そのものを見直そうって話にはならないんだよな。むしろ「これも競馬の宿命」とか「だからこそ尊い」とか、意味不明な精神論で片付ける。いやいや、お前らが馬券を買う限り、同じことはまた起きるんだから、まず競馬をやめるのが筋だろ? そもそも馬券を買ってる時点で、馬を金儲けの道具として見てるってことなんだよ。普段は「推しの馬!」とか言って応援してるのに、走れなくなったら「悲しい…」って、どの口が言ってんだよ。ファンが本気で馬を大切に思うなら、競馬を支える行為自体をやめないと、何も変わらない。
競馬界に変化を求めるなら、本質を突け
とはいえ、競馬は簡単になくならないし、現実的にすぐ廃止できるわけでもない。だからこそ、馬の福祉を本気で考えるなら、表面的な「引退馬支援」じゃなくて、競馬のルールそのものを変えるべきなんだよ。 例えば、 – **引退後の馬のセーフティネットを義務化する**:G1を勝った馬ぐらいは最低限、引退後の生活を保証すべきだろ?種牡馬になれないなら乗馬クラブに引き取られるような制度を作るべき。 – **年齢制限やレース数の制限を設ける**:若すぎる馬に負担をかけすぎてるのが問題。欧米みたいにレース数を減らすとか、引退年齢を上げることで負担を軽減できる。 – **レースの安全対策を徹底する**:芝やダートの管理をもっと徹底して、骨折リスクを下げるとか、鞭の使用制限を強化するとか、やれることはいくらでもある。 でも、こういう本質的な改善には、ファンがもっと声を上げる必要がある。馬券を買って盛り上がるだけじゃなく、競馬界に対して「馬の扱いを変えろ」って言わなきゃ、何も変わらない。
ジャンダルムの死をどう受け止めるべきか
一時的に悲しむだけなら、何の意味もない
結局のところ、競馬ファンはジャンダルムの死を「悲しい」「安らかに」と言って消費するだけで、すぐ次のレースに夢中になるんだよな。Twitterでも「ジャンダルム…早すぎる…」とか言いながら、次のレースの予想をしてる奴ばっかりだし。 本当に悲しいなら、まず競馬の現実を知るべき。年間何千頭もの馬が競争の中で生まれて、走らされて、価値がなくなったら消えていく。このサイクルを支えてるのは、まさに競馬ファン自身なんだよ。
競馬を変える意識を持て
馬のことを本気で考えるなら、競馬をどう変えられるかを考えるべきなんだよな。「仕方ない」と諦めるのは簡単だけど、それじゃ何も変わらない。JRAは馬券売上の一部を「引退馬支援」に回してるけど、それだけで問題が解決するわけじゃない。もっと抜本的な制度改革が必要なんだよ。 ファンが本当に馬を愛してるなら、単に「ありがとう」って言って終わるんじゃなくて、競馬の仕組みそのものを疑え。結局、ジャンダルムの死を悼むことすら、競馬を正当化するための「感動ストーリー」にされてるって気づけよ。
結論:偽善をやめて、競馬の本質を直視しろ
競馬は馬を酷使するシステムであり、ジャンダルムの死はその一部にすぎない。それなのに、一頭の死を特別扱いして「悲しい」「尊い」とか言ってるのは偽善以外の何物でもない。競馬ファンが本気で馬を大切に思うなら、まず競馬そのものの在り方を疑うべきだし、少なくとも何の対策も取らずに「感動」を消費し続けるのはやめるべき。 ジャンダルムの死を無駄にしないために、競馬の在り方を根本から見直すべき時が来てる。馬券を買って喜んでるだけのファンが、それを言えるのかどうか、今こそ試されてるんじゃないか?
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