アベノマスクという税金の葬式
40億円が「口頭で済ませた」って、冗談はその顔だけにしてくれ
結局、アベノマスクってのは何だったのかって話だよ。コロナ禍の混乱の中で、突如として登場した布マスク。その是非はともかく、問題はそこじゃない。税金40億円を使っておいて、「口頭でやり取りしたから文書は残ってない」って、おいおい、江戸時代じゃねぇんだぞ?国家の契約が居酒屋のノリで済むんだったら、もはや政府なんて要らねぇよ。
やっぱり、こういう「無責任の体系化」が国の体質として染み付いてるんだよね。誰も責任を取らない、誰も記録を残さない、そして国民はそれに慣れてしまっている。そこに司法が一石を投じたってわけだけど、これは評価できるよ。遅すぎるけどな。
開示判決が出たって?それすら当然の話でしかない
アベノマスクの文書開示に関する国の敗訴、これを「画期的」とか「前進」なんて持ち上げてる連中がいるけど、正直レベルが低すぎる。国が40億円も使った事業の詳細を明かすのが、なんでこんなに大変なのか。開示されて当たり前、非開示が異常なんだよ。国民の税金を使っておいて、その使い道を問うことすらできなかった今までの状況こそが、異常事態だってことに早く気づけ。
まったく、ちょっと文書が開示されただけで「正義が勝った!」と騒いでるのを見ると、本質が見えてねぇなと思う。この国の情報公開制度の根幹にある「開示しなくてもバレなきゃいい」という態度、それがまだ根強く残ってることに恐怖を感じるべきだ。
お友達のための政治、それが「国策」だったという真実
ユースビオという謎の会社に流れた金の正体
で、もっと言えばさ、アベノマスクの発注先の一つに名を連ねた「ユースビオ」って会社、ここが一番ヤバい。福島のプレハブに事務所構えてるだけの、実態が怪しすぎる会社に国の大金が流れたという事実。それに対して政府は「総合的に判断した」とか言ってるけど、総合的の中身を聞かせてくれよ。
何かの癒着がなきゃ、こんな不自然な契約、成立するわけがないだろ?完全に税金を抜くための仕組みだったとしか思えないんだよ。で、やっぱりそこに官僚と業者の癒着、そしてその背後にある政治的力学が存在していたんじゃないの?と勘繰りたくなるわけ。
安倍の呪縛からの解放?まだまだ甘いわ
今回の裁判結果を「安倍の呪縛が解けた」とか言ってる人がいるけど、何を呑気なことを言ってるんだか。たかが一件の裁判結果で政治の構造が変わるなら、日本はとっくに良くなってるわ。
結局、アベノマスクは氷山の一角に過ぎない。本質的には「お友達優遇」「証拠を残さない」「責任の所在をあいまいにする」という日本政治の悪しき三位一体の象徴。これが是正されるためには、マスク一件ごときで満足してる場合じゃない。もっと根本的な改革が必要なんだよ。
司法の正気 vs 政治の狂気
司法の判断が「まとも」に見える異常さ
今回の大阪地裁の判断がやっとマトモに見えるのは、裏を返せば、それだけ行政が狂っていたという証拠。つまり、今までの「当たり前」だった国の非開示対応が、完全にアウトだったと認定されたわけだよ。にもかかわらず、それに対して国は控訴すらしなかった。つまり、「やべぇ、勝てない」って理解したってこと。ここ、めちゃくちゃ重要なポイント。
でもさ、こういう判断を司法が下すのは「奇跡」じゃなくて「当然」でなければいけないんだよ。行政が情報を隠して、それに対して市民が訴訟を起こして、やっと情報が出てくる。これって、本来なら逆であるべきだろ。公開がデフォルト、非公開が例外、そうでないと民主主義なんて成立しない。
問題は「敗訴」じゃなくて「勝手に進んでた事実」
正直、「国が敗訴した」という事実以上に問題なのは、そもそもこんなバカみたいな契約が勝手に進行していたという事実だよ。まともなビジネスマンなら、何億円単位の取引に文書を残さないとかあり得ない。にもかかわらず、国家はそれを平然とやってのけた。そして、「それで何が問題なんですか?」みたいな顔でいたわけ。
普通の会社なら一発アウト、経営責任問われて当然の行為が、霞が関では日常なんだよ。これ、感覚が完全に狂ってる証拠。つまり、国の中で「責任」という概念が完全に死んでる。
有権者の正気が問われる次のステージ
裁判の結果で「すっきりした」とか言ってる人たちへ
「やっと司法が動いた」「これでモヤモヤが晴れた」とか言ってる人たち、ちょっと落ち着こうか。スッキリしてる場合じゃない。むしろ、この判決は「これだけの腐敗を今まで野放しにしてた」という国民全体への警告だよ。モヤモヤが晴れたんじゃなくて、腐った匂いが立ち込めてきた、そういうレベルの話。
もっと言えば、この判決をどう受け止めるかで、次の選挙の意味が変わってくる。有権者がこの問題を「過去の失敗」として処理してしまったら、それは新たな失敗の始まりにすぎない。今こそ、誰に投票するか、どういう政治を許容するか、そのセンスが問われてるんだよ。
透明性の欠如が生む「無関心という病」
記録がない=責任がない、というロジックの異常さ
やっぱりさ、今回の件で最も危険なのは「記録がないなら誰も責任を取らなくて済む」という前例ができてしまっていること。これって完全に官僚機構の自己防衛でしかないわけ。文書を残さなければ、後から責任追及されない。メールは削除、報告書は未作成、全部グレーゾーンに押し込めて、あとで「そんなつもりじゃなかった」とでも言えば、許されると思ってる。まさに官僚主義の腐敗がここに集約されてるんだよね。
普通の企業なら、取引の証拠がなければコンプライアンス違反で終わり。それを国家が堂々とやってるという異常。こんな状態で「国民の信頼を取り戻す」なんて言葉が口から出るだけでもう虫唾が走るレベル。
なぜ国民は怒らない?怒るセンスがなさすぎる
もっと根本的な話をしよう。こういう問題が明るみに出ても、日本人の多くが「ふーん」で終わってる。この鈍感さこそが問題なんだよ。国に騙されて、税金40億円がドブに捨てられて、それでもなお「まあ仕方ないか」とか「当時は非常時だったからね」で済ませてる。はっきり言って、これが一番怖い。
感情が麻痺してる。政治に無関心でいられるってことは、もうその時点で搾取される側になることを自分で選んでるようなもんなんだよ。怒るべきときに怒れない国民が、どんどん不正に鈍くなっていく。そして、気づいたらすべてが手遅れになっている。
「成果主義」と「説明責任」の欠如が招いた国家の崩壊
成果の出ない政策に40億?誰も責任を取らない異常
成果主義というのは、民間企業では当然の前提。でも、日本の政治においてはこの概念がほぼ存在していない。アベノマスクが社会にどれほどの実効性をもたらしたか?明確に数字で示されたことはない。むしろ「不要だった」「小さすぎて使い物にならない」と言われたマスクを、大量に倉庫に保管し、さらには保管費用が数十億円にまで膨れ上がったという話もある。これ、成果ゼロどころかマイナスの政策だろ。
それでも誰も責任を取らない。そもそも検証すらされない。会計検査院は何をやってたのか?政治家は何を見ていたのか?こうした無責任の連鎖が、国家を内側から腐らせていくんだよ。
「説明責任」という言葉の空虚さ
政治家がよく口にする「説明責任」という言葉。だけど、今回の件でわかった通り、そもそも説明する材料すら残していない。だったら説明責任なんて最初から果たす気ゼロってことだよ。責任を取らないために記録を残さない、これが戦略的に行われていた可能性すらある。
つまり、説明責任というのは「逃げるための言い訳」であって、果たす気なんかない。これだけ情報公開制度が形骸化してる国で、まともな民主主義なんて成立するわけがないんだよ。どれだけ市民が声を上げても、「そもそも文書がありません」で終わるなら、これはもう政治じゃなくて詐欺だよ。
メディアの責任と市民のリテラシー
忖度だらけの報道が腐敗を助長する
そして、もうひとつ忘れちゃいけないのがメディアの責任だよ。アベノマスクが問題になった当初、テレビや新聞の報道はおとなしかった。特に大手メディアは「非常時の対応だったから」と政府の肩を持つような言い回しが多かった。それって結局、政権との距離感を維持するための忖度だよね。
今さらになって「敗訴確定」「文書開示へ」と報じてるけど、もっと早く追及するべきだったんだよ。メディアが本来の役割を果たしていれば、こんなバカみたいな契約、世に出る前に止められたかもしれない。
情報を鵜呑みにする市民の思考停止
でもね、メディアだけを責めて終わりにはできない。情報を鵜呑みにして、自分で考えることをやめた市民のリテラシーの低さも問題なんだよ。報道されてることをそのまま信じて、「へぇ、そうなんだ」と思考停止してしまう人が多すぎる。
インターネットがこれだけ発達した時代に、自分で情報を掘り下げて、裏を取る努力をしない人間は、永遠に騙され続けるしかない。自分の頭で考えない限り、アベノマスクみたいな茶番劇は今後も繰り返されるだろう。
「過去の出来事」にしないために
有権者一人ひとりが「意思」を持て
アベノマスク問題が終わったかのように見える今、むしろ本当の勝負はここからなんだよ。この一件を「過去の出来事」として片付けてしまうのか、それとも「今後の教訓」として生かすのか。それを決めるのは、他でもない我々一人ひとりの有権者だ。
選挙のたびに同じような顔ぶれを当選させて、「まあ他にマシなやつもいないし」みたいな投げやりな態度で票を入れるから、腐った政治家がのさばるんだよ。日本の民主主義は形だけ整ってるけど、中身はスカスカだ。ちゃんと考えて、自分の頭で選ぶ。それすらできないなら、もう文句を言う資格すらない。
未来は「思考する市民」がつくる
最終的には、どれだけ思考する市民が増えるかにかかってる。情報を疑い、検証し、行動する。それがなければ、いつまで経ってもこの国は変わらない。アベノマスクは象徴にすぎない。本質は、腐敗を許す社会構造にある。その構造を壊せるのは、メディアでも政治家でもなく、我々自身なんだよ。
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