大谷翔平パパ1号に喝!感動ポルノの欺瞞

「パパ1号」とか言ってる場合かよ

感動ストーリーの押し売りがウザすぎる

正直、大谷翔平の「パパ1号」なんて報道を見て、吐き気すら覚えたよ。いや、ホームラン自体は素晴らしい。プロのスポーツ選手として結果を出すことは当然だし、それを祝福する気持ちはわかる。でもさ、それを「娘への贈り物」とか「ミラクル・ロマンス」とか、意味不明な感動ポルノに仕立て上げるの、マジで気持ち悪い。

なんでいちいちスポーツのパフォーマンスに「美談」が必要なんだよ。スポーツってのは本質的にエンタメであって、感情を刺激する必要はあるけど、それはプレー自体の質によってこそ成立するもんで、プライベートと無理やり紐づけてエモーショナルにするのは、本質をすり替えてるにすぎない。

しかも、そんな「感動の一発」でドジャースが15点も取ったとか、偶然の結果をまるで大谷の「愛の力」で導かれた奇跡みたいに扱うのは、完全にバカの発想。勝ったのはチームであって、大谷の感情劇じゃない。いつからMLBが昼ドラになったんだよ。

スポーツ報道のレベルが地に堕ちている

これがまた、日本のスポーツメディアの低レベルっぷりを象徴してるよね。試合の戦術分析やコンディション調整、ピッチャーとの対戦成績、データ的な復調傾向なんて一切無視。あるのは「パパ1号で涙」だの「ムーンライト伝説で撃ち抜いた心」だの、ポエムみたいな見出しばっかり。

アホかって。そんなもん、情報価値ゼロだよ。感情だけ煽って、本質的なプレーやチーム戦術への興味を削ぐようなメディアは、むしろスポーツファンの知性を侮辱してると思うね。

メディアってのはもっと解像度高くスポーツを伝えるべきなんだよ。そうすれば、ファンももっとプレーに集中するし、選手に対するリスペクトも質が変わってくる。今の日本の報道は、アイドルのゴシップと区別がつかない。こっちは野球を見てるんであって、昼のワイドショー見てるんじゃない。

パフォーマンスじゃなくて\”物語\”に逃げるな

「パパになったからすごい」って、なんの理屈だよ

そもそも「父になったからホームランを打てた」みたいな論調って、どんだけ非科学的なんだよ。逆に言えば、子供がいなかったら打てなかったって言いたいのか?ありえない。結果が出たのは、日々の調整と技術とコンディションが整ったからであって、娘が生まれたからじゃない。

感情でプレーが変わるってのは幻想だよ。そんな不確実なもんに依存してたら、コンスタントなパフォーマンスなんか維持できない。メジャーリーグでプレーしてるってことは、理詰めで自分をマネジメントできるかどうかが勝負なのに、精神論とか感動で語り出したら終わり。

それに、感動ポルノの危険なところは「努力や技術の積み重ね」を無視するところなんだよね。本人の長年の積み上げを「父になった感動パワー」で片付けるなんて、ある意味、超絶失礼な話だよ。もっと地に足つけて、ちゃんとプロとしてのストーリーを見ろっての。

アイコン化されすぎた結果の弊害

結局、大谷翔平は「商品」なんだよ。MLBも、スポンサーも、メディアも彼をアイコンとして祭り上げて、何をしても「素晴らしい」「奇跡」「神対応」って言うようになっちゃってる。でも、そうやって偶像化されると、逆に人間性が削られていくんだよ。

例えば、成績が落ちたときに本質的な批判をされず、「でも家族のことで忙しいんだから」とか「ちょっと疲れてるだけで、また打つよ」みたいな擁護ばっかになる。これ、本人にとって一番キツいと思うよ。プレッシャーの割に正当に評価されない。で、復活しても「家族の支えがあったから」って、全部人任せにされる。自分の力で結果出してるのに。

スポーツ選手を一人の人間として見るなら、アイコンではなく、コンディションの良し悪し、技術の進化、戦術の理解度といったファクトで語るべきなんだよ。そこを全部吹っ飛ばして「パパになったから強い!」なんて幼稚な見方してる時点で、こっちの知性が問われるべきだよ。

メディアが生み出す「空気」に支配されるな

同調圧力と称賛の暴力

一番ヤバいのは、「パパ1号すごいよね」って空気に飲まれて、それに疑問を持つと「冷たい」「ひねくれてる」「人間味がない」って言われる世の中なんだよ。いやいや、こっちはただ事実を見てるだけ。プレーはプレー、家族は家族。分けて考えるのが当然でしょ。

でも今の空気って、「それを素直に感動しないお前が悪い」って風潮なんだよ。称賛することがデフォルトで、それを疑問視するだけで非国民扱い。まるで戦時中かっての。そもそも、他人の家庭事情にまで感情移入しないといけないのか?それって不健全すぎるでしょ。

こういう「空気」こそが、スポーツの本質を歪めるんだよ。選手は、感動を与えるためじゃなくて、勝つためにプレーしてるの。そういう前提すら忘れて、「素敵なパパ」としてのパフォーマンスを求め出すファンやメディアは、マジで選手潰すからな。

「1000億円の男」に必要なものは何か

で、「1000億円の男」とかいう枕詞も、もうやめたほうがいいよ。どんだけ金額で煽りたいんだよって話。そんなラベルつけたら、本人は永遠にその金額に見合うパフォーマンスを求められる。でも、スポーツってそんな単純じゃない。毎日絶好調なんてありえないし、波があるのが当たり前。

むしろ大谷に必要なのは、「普通でいる自由」だと思うね。大谷はもう充分アイコンとして機能してる。でも、アイコンになりすぎると、ちょっとした不調も「終わった」とか言われる。人間なのに、完全無欠を求められるようになる。そんなの、息苦しいに決まってる。

だからこそ、メディアもファンも、もっとクールに接するべきなんだよ。別にパパだろうが独身だろうが、どうでもいい。打つときは打つ、打てないときは打てない。それでいいじゃん。大谷翔平は神じゃなくて、ただのスーパースターだよ。それ以上でも以下でもない。

大谷翔平は「パパ」より「プロ」であるべきだ

親バカで勝てるほどMLBは甘くない

そもそもさ、「パパになったからモチベーションが上がった」とか、まるで一発屋の芸人の美談みたいに語ってるけど、そんな精神論で勝てるほどMLBって甘くないんだよ。今のドジャースにはテオスカー・ヘルナンデスやフレディ・フリーマンみたいな実績ある選手がゴロゴロいる。その中で、毎日パフォーマンスを出すことの重さは、父親になったからどうこうで語れるレベルじゃない。

むしろ、そういう“特別感”で選手の価値を盛ること自体が逆効果。たまたま一発出ただけで「復活」「ドラマ」って騒いだところで、じゃあ次の試合でノーヒットだったらどうするの?「パパ疲れ」か?「子育ての影響」か?勝手に神格化して、勝手に失望する。そんなの選手にとって迷惑以外の何ものでもない。

野球は実力でしか語れない世界だよ。娘が生まれたから打てた?違うね。だったら、子だくさんの選手が全員ホームラン王かって話だよ。現実は違う。そんな無理やりな感情論で語るな。

“感情の代替品”としての大谷に頼りすぎてる日本

そしてこの「パパ1号報道」を異常に持ち上げる日本のメディアと視聴者。これ、裏を返せば“感情の代替品”として大谷翔平を消費してるってことなんだよ。自分の日常がつまらない、感動が足りない、だから誰かの人生に乗っかって泣きたい。そういう消費の仕方をしてる。

でもさ、それって超絶他力本願だし、本人にも失礼だよね。自分の人生に満足できないからって、他人の私生活や成功に過剰に感情移入する。しかも、それをSNSで垂れ流すことで“自分も関わっている”ような気分になって、さらに自我を肥大させる。まるで疑似恋愛みたいな気持ち悪さだよ。

大谷は神じゃないし、感情供給装置でもない。俺たちはまず自分の人生をどうにかしろって話なのよ。感動ポルノを摂取してる暇があったら、自分が感動を生む側になれよって思う。

「パパ1号」に浮かれるな、勝つチームを語れ

ドジャースの“チーム力”を見ろよ

今回の試合で注目すべきは、「パパ1号」じゃなくて、ドジャース全体の打線爆発なんだよ。15得点だぞ?普通に考えて、これはチームとしての調整力、采配、相手投手の攻略がしっかりハマったってことなんだよ。

それを「大谷の初球先頭打者ホームランが流れを変えた」とか言って、まるで一人の感情が全ての戦術を超越したように語るの、頭悪すぎないか?野球ってチームスポーツだぞ。そもそも1回の表でホームラン打ったら、その後の14点は誰が取ったんだよって話。そっちを無視すんなよ。

フリーマンのタイムリー、テオスカーの打点、ブルペンの無失点リレー、全部が勝因のはずだ。それをすべて「パパパワー」で片付ける報道には、吐き気すら覚えるわ。

MLBで戦う意味を見失うな

そして、大谷が何のためにMLBで戦っているのか、根本的に勘違いしてる人が多すぎる。彼は世界最高峰のステージで、自分の力を証明するために戦ってるんだよ。それがプロフェッショナルの道だ。

そこに「日本の誇り」とか「理想のパパ像」とか勝手なストーリーを乗せて、勝手に偶像化していく風潮、本当にクソだと思う。本人がそれを望んでるならまだしも、現実は違うだろ。

大谷自身は、自分が結果を出すことでしか価値を証明できないと理解してるし、それは父になろうが、独身であろうが、関係ない。彼のプレーは「誰かのため」にあるんじゃなくて、「自分の限界を超えるため」にあるんだよ。だからこそ、リスペクトすべきは「結果」であって「状況」じゃない。

スポーツを感情で語るな、論理で見ろ

感動はいらない、データと現実を見ろ

スポーツってのは、勝つための論理の積み重ねだよ。ピッチャーの球種、打者のスイング軌道、守備シフト、打率、出塁率、コンディショニング、全部が複雑に絡み合って試合が成立してる。その中で大谷が結果を出したのなら、それは技術とロジックの成果なんだよ。

それを「娘ができて気合いが入った」とか「ムーンライト伝説が背中を押した」とか、そんなロマンチックコメディみたいなストーリーで塗りつぶすなっての。だったら全員、娘を持てば勝てるんか?テーマソング変えれば打率が上がるんか?違うだろ?

俺たちはもっと論理的にスポーツを見ろ。勝敗は数字と事実で決まる。感動なんて二の次、三の次。感情に流されるやつは、いつまでたってもプレーヤーにはなれないし、本質も見抜けない。

「応援したい」と「盲信する」は違う

最後に一番言いたいのはここ。「応援すること」と「盲信すること」は違うってこと。大谷翔平は素晴らしい選手だし、応援するのは当然。でも、彼のすべてを美化して、何をやっても「すごい」「感動した」と言ってる限り、こっちの思考は一歩も前に進まない。

もっと冷静に、もっと鋭く、もっと批判的に見ろよ。そうすれば、大谷がやっていることの本当の価値が見えてくる。「打てなかった時期にどう対応したのか」「どこを修正したのか」「投手としての復帰にどう備えているのか」、そういう“中身”を見ようよ。

パパだろうがママだろうが、それは舞台裏の話であって、プレーの価値を決める要素じゃない。選手が努力して、技術で結果を出したときにこそ、本当にリスペクトが生まれる。その当たり前の構図すら見失って、感動の押し売りに流されてるようじゃ、未来のスターは育たない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました